HISTORY 沿革
- 昭和35年4月
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大阪大学の附属学校の一つとして設立。
当時は西日本唯一の国立の歯科技工士学校であり、入学資格は中学校卒業者で、修業年限3年、1学年定員が20名だった。
- 昭和41年
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歯科技工士養成所指定規則の改正により、入学資格を高等学校卒業者とし、修業年限が2年に。
また、学科課程においても大きな変革があった。
- 昭和50年
- 歯科技工士養成所教授要網が改正され、歯学の進展に伴い、技術の修得に重点をおいた現在の教育課程に。
- 昭和50年1月
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従来の各種学校が、学校制度として必ずしも充分な整備がなされていない状況に対して、文部省が適切な措置を講ずることとなり、専修学校制度が設けられる。
(修業年限、授業時間数等について規定を設け、教員数、校地・校舎面積、教育課程の大綱などについて文部大臣が基準を定め、専修学校の教育条件、教育水準の確保が図られた)
- 昭和51年5月
- 本校も学校教育法第82条に基づく専修学校として改めて許可を受け、大阪大学歯学部附属歯科技工士学校(歯科技工専門課程・歯科技工学科)となる。
- 昭和58年7月
- 大阪大学のキャンパス統合計画に基づき、歯学部及び同附属病院とともに中之島キャンパスから吹田キャンパスに移転し、歯学部及び同附属病院との連携がより一層密となり、教育施設が整備充実された。
いうまでもなく、歯科技工士とは、厚生労働大臣の免許を受けて、歯科医師の指示のもとに歯科医療に必要な補綴物、充填物及び矯正装置などを作成、修理又は加工することを業とする技術者であり、歯科医療界の一翼を担う重要な職業です。本校は、1学年定員がわずか20名ではありますが、現在、卒業生も1000名を超え、卒業者のうち教育指導に従事する者は、歯科技工士学校の教務主任や講師として歯科技工士の育成にあたり、その他は、歯学部、病院、歯科診療所、歯科技工所などにおいて歯科医療の一翼を担っており、職場における地位や経験豊富な技術には顕著なものがあります。