てがみ―昔の私へ―
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「わかる」 「わかる」。私たちがそう言うのはどんなときでしょうか。丁寧に説明されたとき、新しい知識を得たとき、同じ経験をしたことがあるとき。そんなとき、私たちは「わかる」と言います。しかし、それだけでしょうか。説明がなくても、知らなかったことを知ったのでなくても、経験を共有しているのでなくても、「わかる」と言うことはないでしょうか。 理由ははっきりしない、言葉にもできない、それでも「なんとなくわかる」。私たちがそう思うのはどんなときでしょうか。私たちはなにが「わかった」のでしょうか。なぜ「なんとなく」なのでしょうか。なぜそんな曖昧なものが私たちを結びつけることがあるのでしょうか。私たちがもっているこの不思議な力について一緒に考えましょう。 「育」 「育つ」、「育てる」、「育む」。誰が、誰が誰を、誰と一緒に。何が、何が何を、何と一緒に。私たちは「育てられた」のでしょうか、それともおのずから「育った」のでしょうか。私たちは誰かを「育てる」のでしょうか、それとも誰かはただひとりでに「育つ」のでしょうか。「育てよう」とするから何かが「育まれる」のでしょうか、それともそれはひそかに「育まれる」のでしょうか。 私と誰かと何か。その「育」について一緒に考えましょう。

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