障害者歯科治療部哲学対話

大阪大学の学内研究助成「未来知創造プログラム(2014年度)」を受けた共同研究の一環として、2015年1月から月1回のペースで「哲学対話」が始まりました。未来知創造プログラムは今年の9月で締めくくりを迎えましたが、哲学対話はその後も歯学部内のセミナー室を借りて開催しています。この度、参加者の皆さんの同意をいただき、哲学対話の音声記録の一部公開ができることになりました。

topic
〇哲学対話について
〇哲学対話「バランス」
▶参加者
▶テーマと案内文
▶対話のまとめ
▶音声記録

▶音声の文字起こし


〇哲学対話について

まず哲学対話について、『てがみ―昔の私へ―』からの抜粋を用いて紹介します。この冊子は未来知創造プログラムの成果の一つとして発行されたものです。哲学対話に参加しているお母さん方に書いていただいた過去の自分への「てがみ」を中心に、コラムやエッセイを掲載しています。障害者歯科治療部のHPで電子書籍版を公開しておりますのでご覧ください。以下、抜粋です。

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障害者歯科診療部での哲学対話とは(『てがみ―昔の私へ―』2-3頁)

 「私たちは大阪大学歯学部のお部屋を借りて、哲学対話をしています」。こう聞いて、どんなことをしていると想像しますか?哲学?対話?とてもむずかしいことをしていそう?ここでは「哲学対話」をかんたんにご紹介します。

Q. 哲学対話って何してるの?

 まず「対話」という言葉からみてみましょう。これは、なにかためになるレクチャーを受けるというのではなく、参加者がみんなでお話する、ということです。
 そこに「哲学」がついても、突然なにかまったく別物になってしまうわけではありません。ただ、回ごとに1つの“テーマ”が決まっていて、みなさんの対話をサポートしたり整理したりする“進行役”が1人います。たったふたつの特徴ですが、1回ごとのおよそ2時間で、ふだん自分が考えていること、行動していることの奥にある根っこの部分を見つけたり、時には掘り出してみたりすることができます。経験や思いといった、それぞれの葉や幹のような部分の違いは、ときには「人それぞれ」で終わってしまうものですが、根の部分の違いというのは、たとえ違っていても地面でどこかつながっていたり触れ合っていたり。そこに目を向けることで、それぞれが「違うということ」の楽しみ方に奥行きができます。
 「結論」や「合意」ができるわけではないし、自分は話さずほかの人の話を聴いているだけのこともしばしばあり、「わからない」ことが部屋に入って来た時より増えている、のに、なぜかすっきりする、といったふしぎなことが起きる場所です。

Q. 哲学対話にルールはあるの?

 規則や決まりごとではないですが、対話を始めるときに進行役から伝えていることがあります。それは、「誰かが言ったことと自分の考えていることが違っていた場合、何が違うと思ったのか、どう違うと思ったのかにこだわってみる。同じだと思った場合も、何が同じで、どう同じと思ったのかに気をつけてみる」ということです。対話を進めるときのコツのようなものです。誰かの言ったひとつひとつの言葉を、「ココが私と違う」「ココは私と同じ」と丁寧に見ようとすると、普段ならそもそも気づいてさえいないことについて考えることができます。それに、いつもよりじっくり人の話を聞きたくなります。

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〇哲学対話「バランス」

 ここでは、2016年10月26日に開催された第十九回哲学対話の音声記録の一部を公開します(公開部分を文字起こししたものもあります)。実際に哲学対話がどのように行われ、そこでどのようなことが話されているのか、部分的ではありますが実際に聞いていただけます。
テーマ・案内文の設定、進行役は青木健太(障害者歯科治療部特任研究員)が担当しています。対話の全体は2時間で、間に10分程度の休憩を挟んで前半と後半に分かれており、最後に参加者全員で感想を共有しました。前半・後半・感想それぞれからの音声を一部抜き出しました。

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▶参加者

 参加者は計10名で全員がお母さんです。今回が初参加となる方は2名、その他の方は複数回参加してくださっている方です。お子さんはすでに成人されている方ばかりで、障害の種類は自閉症・ダウン症・知的障害などです。

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▶テーマ&案内文

 第十九回はテーマを「バランス」とし、以下のような案内文を参加される方に事前にお伝えしました。対話を始める前にもテーマと案内文を参加者全員で確認しています。

テーマ:「バランス」
「バランス」が大切なのはどんなことでしょうか。それは何と何との「バランス」でしょうか。「バランス」は自分ひとりのものでしょうか、それとも誰かと共有しているものでしょうか。「バランス」がとれているとはどういうことでしょうか。「バランス」が崩れているとはどういうことでしょうか。誰がどのようにしてそれを感じ取るのでしょうか。
私たちにはいつどんな「バランス」が気になるのでしょうか。一緒に考えましょう。

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▶ 対話のまとめ

話し合ったことについて、全体をトピックごとにまとめました。公開個所以外の内容もまとめてありますので、対話の内容の補完としてご覧ください。

・二種類のバランス

 今回の対話で中心的なイメージになったのは「自転車のバランス」でした。前に進むことでバランスをとることができるという、動きを伴ったバランスのとり方です。このイメージに対置されたのが「やじろべえのバランス」です。こちらは、その場にじっとするという静止によってバランスをとることができているとみなすイメージです。このような動のバランスと静のバランスは、どちらか一方だけで成り立つのではなく双方の間でもまたバランスをとる必要があるという話もありました。じっとその場に留まっていては進歩がなく、周囲の状況は絶えず変化していく。だからといって、動き続ければ疲れ果てて倒れてしまうので、立ち止まりながら変化に対応することも必要になる。子供の成長に寄り添ってきた経験が、自転車とやじろべえをモチーフに語られました。
 動のバランスと静のバランスを一人の人間の中に両立させることは難しく、母親はどちらかというと動のバランスを重視する傾向があるようです。父親の方では静のバランスを重視することがあるようなので、動のバランスと静のバランスの両立には夫婦関係が関わることがあります。どちらのバランスを重視するかで衝突が起きることもあります。しかし、夫婦とも動のバランスを重視するなど、両者が同じ考え方をもっていると発想の転換ができず、状況が悪化しても引き止められないということがあるようです。考え方が違うことは衝突の原因となりえる一方、危機を避けるためのきっかけにもなります。このように、動と静のバランス自体についても、双方の間でどのようにバランスをとるかが問題になりました。

・子供の自立

 自転車のイメージをもとに、子供がいずれ一人で自転車に乗るときのことについて話し合いました。つまり、子どもの自立です。子供が小さい頃は母親の自転車に子供を乗せていても、いずれ子供は自分一人で自転車に乗らなければならないときがきます。そのためには練習が必要ですが、それができる場所は多くないようです。
 障害のある子どもをもつ親は「社会とのバランス」に気をつかっているそうです。「社会とのバランス」は、社会の中で生きていくためにある程度周囲に合わせるという意味で語られます。もともとこうした種類のバランスを崩さないようにしているなかで、そのバランスを崩す可能性がある自立の練習をすることが難しいということは想像に難くありません。練習のための場所や支援してくれる人、それらに伴う資金を調える制度などが必要です。お母さんたちの言葉では、「倒れても壊れない丈夫な自転車と外す時期のわかる補助輪」が必要だそうです。
 ところで、練習の場があっても子供が自転車に乗ろうとしてくれなければ、練習は始まりません。子供が自分でバランスをとることができるようになるには、まず自転車に乗ってもらわなければならないのですが、どうすれば自転車に乗りたいと思ってくれるのか。子供の意欲を引き出すために、皆さん様々に工夫されてきたとのことですが、結局はタイミングが重要ということでした。子供が普段から楽しんでいることをよく観察し、どんなことがその子の意欲を引き出すのかを知っておく。そして、タイミングを逃すことなく後押しすることがコツだそうです。いつがその時なのかを見計らうことは難しく、今だと思ったときにすぐに反応できるかが決め手になります。
 もちろん、子供の自立に関しては障害の種類や程度によって状況は全く異なったものになります。一概に「こうすればいい」ということが言えないことも話し合いの中で確かめられました。

・バランスがとれると見えること

 今回の対話に参加されたお母さん方はすでに子供が成人されていることもあり、「バランスをとることが上手な人」が集まっていると自己分析されています。バランスをとることに必死になっている間は周りの人に気を使うことができませんが、ある程度安定した状態にある人は周囲の状況を観察することができるようです。対話中では「景色をみることができる」という表現が使われました。
 実際、参加者の中にはボランティア活動をされている方や、親の会で小さなお子さんをもつお母さん方の話を聞いておられる方がいます。今まさに大変な時期にあるお母さん方がどのような状況に置かれているかを見られていて、今回の対話では情報過多によって若いお母さんが振り回されていることが話題に上がりました。
 一方、これからのご自身のことについても考えておられました。現状では安定してバランスをとることができていても、年齢を重ねることで状況は変わります。親自身が支援を求める必要が出てきたとき子供はどうなるか、さらには自分の死後に子供はどうなるのかということまで話は及びました。

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▶音声記録

 以下の三つが対話の音声記録の一部を抜き出したものです。個人名が出てくる箇所のみ編集で音声を消してありますが、それ以外の箇所は録音した記録のままです。文字起こしはPDFの他にこのページ上でもご覧いただけます。

①哲学対話「バランス」(前半より)
【音声ファイル】 【文字起こしPDF】
前半が始まってからおよそ15分が経過してからの箇所です。対話中もっともよく言及され、「バランス」のイメージの中心となった自転車の例が登場します。「個性」にも話が及びました。

②哲学対話「バランス」(後半より)
【音声ファイル】 【文字起こしPDF】
後半の冒頭の箇所です。前半の終わりで話題になった「意欲」についての話し合いです。途中で名前の出てくる「稲原さん」は、歯学部哲学対話の発案者である稲原美苗さん(神戸大学大学院人間環境学研究科人間発達専攻学び系講座・准教授)のことです。

③哲学対話「バランス」(感想)
【音声ファイル】 【文字起こしPDF】
感想は参加者全員が一人ずつ話しています。ここでは3名の方の感想をピックアップしました。

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音声の文字起こし

①哲学対話「バランス」(前半より)

A:私が思ったバランスっていうのは自転車なんですよね。自転車って右左のバランスを、自分たちが無意識にとって前に進むものじゃないですか。二輪車のものって、ふつうそのまま止まってるわけじゃないので絶対どっちかに、コケますよね。それを、自転車に乗るっていう行為は、こう、自分自身が、もう、体に身についた無意識のバランスで、右左をうまく、右にこう足をこいでるときは左に重心をかけるっていう、無意識な行動で、あの、自転車っていうのは走ってるので、だから同じで、Bさんといっしょで、あの、私にとってバランスがとれてるっていうのは、要するに風のない湖面のようにまっすぐな、あの、なにも波打ってない状態が、バランスがとれてるっていうものなのかなと思ったんですよね。だから、同じで、あの、石ころが一つあれば、ちょっとバランスを崩して、ちょっと自転車がこけそうになったりとか、それが見えていたら、こう自分はそれをうまくこう避けて、あの、自転車を走らせるのと同じだし、で、湖面に何かポンて一つ投げられると、波紋が広がるのと同じで、それは一種のバランスがとれてないみたいな、あの、目に見えるものなのかなっていう、私も同じイメージをもったんです。

青木:うん、だから…

B:なんか、なんか、その、まあ、ま中心が安定してたら、その揺れもなんかこう、うまいことね、なかなかこう揺れるけどこう、あの、まあなんとか、保っていけるんやけど。やっぱりこうね、あの…なんか、なんか、崩れてる、くず…崩れるじゃないけど、なんかもっともっと負荷がかかってたら、そこが修正しきれないで、ああぁってなっちゃう、ような感じですよね。なんか、イメージですけど。

青木:となると、まあ、そう…あ、いやまあ、いろんな言葉があれ、つねに裏返しはあるんだと思うんですけど、バランスがとれてるっていうのが、やっぱりとれてない状態前提なところがあるから、で、しかも今の、その、綱渡りとか自転車のたとえだと…バランスをとろうとしてないと崩れるっていう感じですよね。だから、ほっといたらあん…ほっといても安定してたまに崩れるっていうよりは、基本崩れてるもので、それを、バランス、をちゃんと保とうとするからバランス保たれてる状態になるっていう。まあだから自転車すごいわかりやすかったですけど。止まってたらパタンといくわけですよね。でも、とろうとして動かすと真っ直ぐになるっていう。崩れてるほうが先にあって、なんとか安定してるっていうようなイメージですね、こういまのバランスと。じゃあ、がっちり安定してて崩れるっていうよりは…先もう崩れてて。その始まり方もなんか面白いですけど、どう、どう始まったんだそれって感じがしますけど、崩れるところから始まるって。で、それがまあ安定しているという状態にもってかれると…うん。

A:もう一つね、さっき青木さんがはじめにおっしゃったお洋服の問題、おっしゃったじゃないですか。こう、バランスがとれてるかって気になるっていうの。あの、お洋服のことでいうと、そういうファッション的なものでいうと、あの、すごくその、バランスを考えるとめちゃくちゃ無難なコーディネートになってしまう可能性が、あるじゃないですか。でも、そこを一つ外すことで、あの…なんだろ、光る感じになっちゃうっていうのがあると思うんですよ。だから、いまさっきの自転車みたいな、あの、バランスがとれないものを無意識にとろうとしてるんじゃなくって、わざとバランスがとれてるものを外すっていうのが、ファッション的なバランス、なんじゃないかなって思うんですよね。

青木:なるほど。

C:同じ、私も、考えなんですけど。その崩す崩し方を、どう崩すかが個性かなっと思うんです。だから、その、まったく逆のものをもってくるのか、それとも同じものをもってきて目立たさすのか、で、あの、ファッションもそうですけど、あの、性格っていうのもそうじゃないかなと、人間の性格みたいなのも。あの、すっごいバランスのとれたね、人っていうのは、良い子すぎたり、もう、落ち着いてはるから、面白みがないっていうのかな。でも、なんか、ち…あの、バランス的に、こう、どっか、こう飛び出てはるとこがあったり、どっか凹んではるとこがあったりすると、それがすごい気になるけど、でもそれがその人の個性であって、あの、外から見たら、あの、なんかあの人あれ、すごい良いよねっていうね、感じの個性で輝いてはるとこもあるんじゃないかなって思うので。私は、バランスっていうものは、均等にとれてていいものと、崩れてもいいものがあるような気がして。崩れてるから目立って輝くやん、っていうね。なんか、そういうなんもあるのかなって。だから、あの、息子を見たときに、すごいバランスが悪くって、あの、思ってるんだけど。バランスが悪いと思ってて、ある日突然なんか思ってないことをしたときに、えっ、できるやん、すごい!とかね、思えるっていうのはやっぱり、その日ごろこの子はバランス崩れてるやん、と思い込んでるから、あの、そのできた部分がすごい輝いてくるっていうか。だから、バランスっていうのは、私は、あの、きちっととれてるだけがいいもんではないような気がして。崩れてるほうがかえって、際立つとこあるやんと私は思う性格なんですけど。だから、その人その人によってそのバランスっていうのも違ってくるかな、と思ったりする。

青木:うーん、なるほど。だから、人によって考え方が違うとか、人によって、こう、好みが違うとかっていうのの、一コの説明として、なんかおっきい人間にとってのバランスみたいなのがあるんだけど、その崩れ方が、こう、人によって、どのタイミングでどう崩れるどうかが、違ってるって考えたら、完全にバランスが保たれてる人って全然個性がない人かもしれない。こういうタイミングでこういう崩れ方をするんだっていうのが…ある種その人らしさみたいなものを、こう、醸し出してくるっていう…うん。ま、最初からバランスが崩れてるっていうのは、ま、確かにしんどいっていう面も、ある、ものなんですけれども。まあそのしんどいって、だから、どっからがしんどいかですよね。どういう崩れ方するとしんどいか。どういう崩れ方すると…まあ、ある種こう…良い意味で個性になったりとか、するのかっていう。で、あとまあやっぱり気にな…一方で、こう、バランスが保たれてる状態っていうのも、しんどい状態、バランスが崩れてしんどい状態からするとバランスが保たれてるほうが楽、に見えるんだけども。でも、かなりスレスレの状況でバランスを保ってるのだとしたら、バランスを保つっていうのは、かなり、こう、力を入れなきゃできないことかもしれない。あるいは、緊張感を伴うから、そんなにリラックスはしてないかもしれない。

C:なんか、最初はやっぱりバランスを保ちたいっていう気持ちが、あるんだけど、そのバランスが、あの、ちょっと頑張ったらバランスがとれるんだったら、頑張れると思うんだけど。もう、全然なんぼ頑張ってもバランスとれないやと思って、変な居直り方をすると、いいやと思ったらなんか、それがすごい、あの、見方を変えるっていうんですかね。そしたら、うん、これがこの子の個性やんって思うと、なんかすごい、楽になる部分があるっていう。だから、バランスをとろうとするとすごい、その、傾いたほうを上げなきゃならないから、大変になるけど、もう崩れっぱなし、シーソーみたいに、誰も乗らなかったらパタンと傾いてうえ上がってる状態で置いといても、あれはシーソーやんって、みんなが思ってくれる。

青木:なるほどなるほど。

C:でも、人が乗ったときにちょうどバランスで、こう、なるけど。もうそこまでシーソーいうものはパタンと傾いて置いたるもんやと思ってしまうと、あとは楽かなと思う部分もあるんですよね。

青木:なるほど。だから、しんどくなるのはバランスを保たなきゃいけないと思わせる何かがあったり、あるいは、その持ち上げんのに凄まじいエネルギーがかかるんだけど、あるいは、その、もう、たぶん無理なんだけど、どうやっても釣り合わないような崩れ方をしてるんだけれども、それがまだ見えないときとか、どうしても、こうこだわりたいときは、すごい負荷がその人にかかるし、力を使わなきゃいけないからしんどくなる。ま、それはたしかに、一つのわかりやすい感じの説明ですよね。

D:障害児をもってるとね、やっぱりその、親というのは、その、社会との、そのバランスをうまくとれるようにつねにやっぱり考えてると思うんですね。で、それは社会の中で生きているわけで、私たちだけで生きてるわけじゃないのでね。だから、そういう意味で、や、あの、その社…バランスを保とう、ある程度のバランスをとろうと思うんだけれども、やっぱりとれないときってありますよね、いろんな場面で。で、そういうときに、やっぱり必ずしもその自分が思ってるバランスが本当に正しいのかなとか、あの、ある程度とっとかないとね、その社会的にうまくいかないから、それはとっとかないといけないんだけれども、これで、ほんまにオッケーなんかなって。そういうときはけっこうありますよね、なんか。それは、あの、すごく思うことありますね。この、こういうとり方で自分の子供をたとえば、もうぐっと押さえといて、それでなおかつ、その、あの、社会のなかでうまくやっていけるようなかたちをとるっていうのは、はたしてこれ正しいことじゃないんじゃないかなって思う部分もあります。でも、ある程度のやっぱり社会性をもたさないと、社会のなかでは生きていけない。だから、そこを、まあそれがバランスみたいなもの。ちょっと違うバランスかもしれないけれども。そういうことをやっぱり、あの、障害児をもっている親御さんっていうのはみんな、それ考えてらっしゃるんじゃないかなと思います。

青木:うーん、難しいとこですね…。

D:また、あの、服装のバランスとは違うかもしれないんですけど(笑)。それだったら、ここだったらまあね、個性があるからこれでいいわっていうふうに、それで、ね、もう、あの、できるけれども。これ、子供と社会の関わりやと、これでいいっていう場合が必ずしもオッケーじゃないじゃないですか。だから、そこんとこはやっぱり親の難しさっていうか、そこをうまくバランスとるように、これみんなそれぞれ工夫してるんじゃないでしょうか。

青木:そうですよね。道路の真ん中歩いて、これは個性だっとかつっても、ちょっとねっていう。ちゃんと歩道あるこうかっていうことを考えると。そういう意味で言うと、まあ、さっきの個性っていう意味でのバランスのなかでは、みんなに合わせてる状態がバランスがとれてる状態だっていうのが、だと思うんで。で、個性が出てるのが、見ようによってはバランス、そこの外し方があると、いうことなんですけど。でも、ほかのいろんな人と一緒に生きてこうと思ったら、ほかの人と、まああるいはほかの人にも合わせてもらわないといけないのかもしれないけど、お互いに、こう、合わせるってなると、だいたいここだよねっていう。で、まあそれがたぶんいまの言い方だと、バランスがとれてるっていう状態だと思うんですけど。とらなきゃいけないときってあるわけですよね。自分の、こ…この崩れ方は個性だじゃなくって。それをちゃんと、こう、釣り合わせて。ほかの人の個性とかと釣り合わせて、みんながこう、同じことができるように、とかっていう…うん。

A:いまね、おっしゃったそのバランス、世間とのバランスっていうのは、先ほどの自転車と同じで、親は、もう無意識のうちにそのバランスをとってる、って思うんですよね。それをバランスをとってるとかって考えてるんじゃなくって、もう、それが生活のようになってて、その、どうやって折り合っていくかっていうバランスを、つねにこう、無意識にとってる、っていうふうに、なんかすごく感じたんですよね。

②哲学対話「バランス」(後半より)

E:あの、諸刃の刃というか。うちは子供二人とも、ゲーム系が好きなんですよね。ゲーム。で、娘でいったら、いま、もうここ何年か、百円を入れて、機械で遊んで、終わったらカードが落ちてくるタイプのがすごく好きで。もう、また、その会社のほうもね、長く続けられるようにストーリー性にして、第何章なんとかの国とかね。そんなのを、まちょっとね萌え系もちょっと入ったりするから、上手につくってあるので長くしてるんですけど。ま、本人が好きで、お小遣いでやってるんだから認めたい半分、やっぱり、ちょっとこう、やりすぎてつぎ込みすぎる部分もあって。またその、やってる何分かが、世界にすごーく入り込むから、もうなんかもう、恥ずかしいぐらいもう、やったー!とかね、いけー!とか言いながらやってるから、お上品にお願いしますっていつも言ってるんですけど、ふふふ。

一同:笑

E:でも、全然、親がいなかったら、もう全然で。もう叩くときは、バババババーって叩いて、そんな感じなんですけど。こないだ、えっと、夏、ちょっとね原因よくわからないんですけど微熱がずーっと続いてて。で、6、7度2、3分から、7度6分ぐらいで、微熱っていうにはちょっと高いことも多くてね。で、本人もなんかこう、いままでなかったからすごいドキドキして。心臓動いてるお母さんとかって、何回か言って。動いてるよー動いてるよーとか言いながら。で、結局、その作業所、一週間ぐらい休んだんですね。で、一週間ぐらい休んだ辺、あ、一週、5日くらい休んだところで、やっぱ本人もちょっとこう、うんざりで。そうよね、気持ちいいよね、とか言うときもあるし、でも、ああお母さんなんかおかしい寝れない、とかって言うときもあって、すごい波があって。で、私ももう、あの、励ましたり、ちょっとこう突き放して、だからねって、たくさん寝ないとダメでしょっとかって話をしたりしてたんですよ。したら、あの、そのカードゲームっていうのが、ま、ふつうに行って、あの、できるんですけど、その会社のほうも考えて、結局その、特別バトル期間とかっていうのをつくるんで、結局そういうのをパソコンでね、まあ、暇だったし、見てんのもあるんですけど。お母さん金曜日から何とかのタイトルが始まるの、行かなくっちゃ、って言うから、あのねって、休んでるときにそんなの行くのはおかしいでしょって、病気をしてるんだから休まなくっちゃって、病気のうちは行けないわよって言ったら、私は治すわって言って、ふふふ。

一同:笑

E:ものごい熱あるしと思って。ま、病院とか行ってね漢方薬とか飲ませてたんですけど。だから、結局は、えっと7度は切れなかったんですけど、ま、薬も効いて、7度、ま、1分2分ぐらいにはなったのでね。ま、私ももう、お互いいい加減に1週間も休んでたから嫌だったので、もういいやと思って。ただ、頭が痛かったり気分が悪かったら、熱がなくても帰っておいでって。でも、まあ、あの、気分が良いんだったら、行ってみたらって、言って。でも、うーんうーん、って言ってたら、そのパソコン見た瞬間に金曜日に行かなくっちゃ、って言って、木曜日から行くようになって。だから結局作業所の帰りにね、あの、まあ寄って、遊んで帰ってきてるんですけど。ま、それで、がやっぱりその、なんていうかな、意欲、意欲、意欲という、親の励ましよりも、その、ね、ふふ、パソコンのお知らせのほうが勝ったんですけど、ふふ。もうすごくね、腹が立ったけど、でも、なんか、大きなやっぱ本人の転機で。それからは、やっぱりなんかこう、ま、そういうのもね、特別期間っていうのがだいたい10日くらいあるんですよ。だから、もう、こう、こっちはちょっと半分イラッときてるんだけれども、でも、こう、今回ばかりはいいきっかけだったんでね。だから、それっていうのは、そういう場面を想定せずに、もともと本人が好きだと思ってやってたことなのでね。だから、本っ当は私はもうなんかやめて欲しいんですけど、でも、もうそれは、もう、止められない、ね、もう年齢もそうだし、いい気になってるのでね。だからやっぱりその、ま、あの基本は本人がやりたいっていうものはさせていたら、やっぱりそういういいこともたまにあるんかな、と、今回は思ったんですけど。ただやっぱり、意欲を引き出すっていうのは、その、ま、あの、こう、場を想定するんではなくって、日頃のなんかこう、なんていうのか、本人の引き出してっていうところが、影響して、ま、そういう困ったときも、ま、ときにはいいことがあるんかなっていうのは、すごくこう、この夏というかね、実感したので。だからやっぱり、本人にとっての楽しみ、本人がこれだったら動くっていうものを、まあ、親がある程度ちょっとこう、把握してたら、きっかけにはねなると思うんですよ。それが全部いいかどうかは別なんですけどね。なんかきっかけで、動いてくれるものを、ま、日頃の生活のなかで、ちょっと探しといたらこっちも楽だし。うーん、だからそういうのっていうのは、やっぱりちょっとこう、はたらきかけたり、見せてみたり、連れて行ったりっていうのは、あるから、やっぱり、もちろん、その、休憩しないといけない、じっとしとく期間は絶対必要なんだけれども、でも、やっぱり、どっちかというと、最初の話みたいに、前に向いて動きながら、こう、えー、タイミングとかをはかるのが、やっぱいいんかなと思って話聞いてたんですけど。はい。

青木:うーん。まあ、いま、の場合だと、要は、体がバランスを崩したんですよね。病気になって。

E:そうです、そうですね、うんうん。

青木:しかも、わりとこう、はっきり原因がよくわかんない仕方でバランスを崩してて、ああしんどいなってなって。たぶんそれがだから、動いてたのが止まる系のバランスの崩れ方ですよね。じっとしてて、どうしようどうしようってなって、よしゲームしたいってなった瞬間に、だから、それ動き出さなきゃいけない話になったんですよね、きっと。

E:そうです、そうです、うん。

青木:体動かさなきゃいけなくなって、で、だから、しんどいけど、なんとかバランスを戻してやるっていう。だから、それはなんかこう、バランスを、なおすことによって、これがやりたいを、やりに行くためにっていう感じですよね。

E:きっかけ、ほんときっかけがね。でも、そのきっかけっていうのは、意図してるんじゃなくて、もともとあったものが効果いいようになったってこと。

青木:そうですよね、何か新しいことを始めたいっていうよりは、いままでやってたことで、まあ、ある意味新しいですけど。ね、そういう期間が設定されなければ。今までやってたことをまたやりたいってなっときに、じゃあ、この状態を元に戻さなきゃってなって、ってことですよね。だから、バランスを、なおすこ…バランスを元に戻すこと自体が目的っていうよりは、なんか別のことやりたくって、それやろうと思ったら、病気なんだから寝てなさいっていう状態じゃダメだってなって、じゃあなおさきゃってなって、じゃあ私なおします、っていう戻し方ですよね。それはなんか、そこはなんかヒントありそうですよね。バランスを保つこと自体が目的になるってやっぱおかしいような、気が、しますよね、ちょっと。なんか、それは違うんじゃないかっていう。自転車の、自転車でバランス、乗ってバランス保ってるのは、目的地に行くためであって。自転車に乗ってバランスをとること自体が目的なわけじゃ別にないはずだから。なんか、ね、行き先が、あるでしょ。止まって、こう、ね、じっとしながらもバランス保ってるきときだって、たぶんじっとしてなきゃいけない理由は、どっかあるっていう。それはヒントになりそうですよね、意欲っていうことと合わせて考えたときに。やっぱバランス保つって手段なんじゃない、っていう。保ってなんかしたい、っていう…。逆に言うとだから、新しいことをすると、それを、達成するために、何か新しくバランスをとらなきゃいけないことが増えたりするんですかね。まあ、いままで手持ちのもので…たとえば自転車で行ける範囲のところに行くんだったらそれでいいんだけど。ちょっと遠いとこまでってなったら、新しい手段を使って、行けなくなるから、ってなったときに…。でも、それって子供さん小さいときって、たぶんその連続なんでしょうねきっと。手持ちのものだけで、手段だけで全部ができるわけじゃ、ない。ま、でも、別にそれはあれか、障害があるなし関係ないですよね。子供ができたらかもしれない。あんまり。

E:小さいときってね、言葉悪いですけど、モノで釣ってしまうっていう、っていうところの、すごく、あの、それこそ、(笑)

一同:(笑)

A:脅しと、飴と鞭やな(笑)。

F:今でもやってる、ふふふ、けっこう(笑)。

A:ようやったはるよね、ふふふ、脅しを、ふふふ(笑)。

E:それもね、だからバランスですよね。それもね。あの、ちょっと、ある域を超えると脅しとかになるけど、でも、その、きっかけをつくるっていうことでは、非常に有効な方法で。

F:ダメって、いうのはわかってるんだけど、ついつい使ってしまう(笑)。

A:脅すよなぁ(笑)。究極の脅しやんな、連れて帰らへんでって

一同:(笑)

F:置いてくよ、とか、ははは(笑)。

C:1回やったことあるんですよ。そしたらね、歩いて帰ってきてん。

一同:(笑)

A:私も、私もやられた(笑)。私も、もう、怒って一人でビュー帰って、へーって歩いて帰って。

C:歩いて帰ってきてん。もうそれは、もうだんだん親のほうが負けてる。

一同:(笑)

A:これは通用せんって思った、私も(笑)。

青木:そっか、そう、そういうところはあるわけだ、ふふ。ほんとにその場で泣き崩れて帰ってこれなくなるんじゃなくて、ほんまに自力で(笑)。

A:そうそう、もういいやって帰られてしまってん、えー(笑)。

C:いや、はっともう振り返ってね、もう、もうそろそろね、ついてくるやろな思て迎えに行ったらいなかって。こっちのほうが追い詰められて、どうしようと思って。んでしてたら、しばらくしてたら電話かかってきて、一人帰ってきてるけど何しとんねん、言われて。

一同:(笑)

C:んで、へーとか思って、いやいつの間に道覚えたんやろとかね、変に思えたりして(笑)。

A:私もやられたあの人に、あるわ(笑)。

青木:想像を超えられてしまうんですね、そういうときは。そういう意味では、人が何でどうやってバランスとってるかなんてわかったもんじゃないから、はは(笑)。そうですよね。置いてかれるっていうのは、その人にとっては一応、想定はしてないかもしれんけど、対応はできる範囲だっていう(笑)。

C:たぶん、さっきおっしゃってた、やっぱりそれも、あの、その子の年代があったと思うんですよ。その、言った年代がね、あって。もう、親、親にいつもあない言われてるから、もう、今度なんかあったら一人で帰ったる、と思てたときに、親がもう知らんよ!って言うて、言ったから、ほんだらいいよ、って思ったかもしれないし。それができないときやったら従順についてきたかもしれないしね。その辺がやっぱり、あの、子供の心のなかで、こう、バランスをみてたんかもしれませんよね。

青木:そう、それはある意味で、だから、親が思ってる、子供がこうバランスをとってるはずだ、じゃないとりかたをもうし始めてしまっているってとこかもしれないですね。想像を超えられちゃうっていうのは。

G:障害のでもね、種類にもね、やっぱりよるから。私、その、小学部に、養護学校の小学部入ったときに、ま、20歳以上の先輩の大変なお子さんたちのお母さんにいっぱい話を聞いてたから、20歳過ぎても全然障害は軽くとか、変わらないよっていうのをとにかく聞かされてたのと、健常のほうがとにかく大変だから、この子たちはずーっと一緒にいるんだから、こんな幸せな親子関係はないと。でも健常の子は、何が何でも逆に自立してもらわないと困るから、健常のほうがもういろんな障害が出てくるから、よっぽど大変だよ、っていうのを二つとも、その、小1のときにもう聞いてたから。ほんとに20歳超えても全然変わらないし。むしろ、なんか年齢的なことで大変なことが増えてきてるから。私も、あの、はじめてのおつかいのあの番組みたいに、うちの娘なんか、もし外で一人ぼっちになったら、どんな行動に出るかって、全っ然想像がつかないので。家に帰ることもできないだろうし、信号もわかんないから、たぶん道路飛び出しもあるので。たぶん、まあ、死ぬ前に誰かが、カメラマンさんかなんかが救ってくれると思うんだけども。なんか、その辺のことが全然想像つかないので。まあ、うちの場合は、もうとにかく一心同体でたぶんずっといく、と思うので。ま、極端な話、あの、これも先輩が、もうどっちかが棺桶に入ったときに終わるのよ、て言われたから。あぁ、まあ、そうだろうなぁ、ってずっといまでも見てて。最近ほんとひどいから、これはもう悪いけども一心同体でいって、まあ、私が外で、あの、上から鉄板が落っこってきて、ずって死んでも、この人もたぶん次に死ぬな、みたいな感覚でいってるので。あんまりなんかこう、自転車に乗るとかいうよりも、自転車自体をこの人はたぶん拒否するだろうなぁ、という感じがね、すごくあって。よくわかんないんですよね、そのへんがね。だから、そういうだから、たまに、あの、稲原先生とかもメールで、ちょっとGさんのお子さんのようなタイプは今まで知り合いにいなかったので、それは、あの、産経新聞の記者さんも、今までそういう最重度のどっちかっていうと、えっていう、そんな人がみたいな人とお付き合いがなかったので、イメージがわきませんでしたって、やたら質問がくるんですけど。ほんとの究極の、たぶん、何もわかってないなんつったら本人も怒るかもしれないけど、たぶんわかてないだろうなぁということがいっぱいあって。で、できた、と思ったら、あ、やっぱできてなかったんだ、とか。逆に、えっ、こんなことできるんじゃんと思ったら、あ、あれは偶然だったのかな、みたいなのもしょっちゅうだし。全部をいってみ、とも言えないし。かと言って、用意してみて、乗ったりして、なんてこともないとも言えないし。わかんないんですよねー。だから、なんか一つ趣味があったら、どんなにこの人の人生は楽しいだろうなと。でも、趣味が見つからないんですよねー。

③哲学対話「バランス」(感想)

E:はい、あの、本日も、ふふ、一応スタートとしては第二期だと思うんですけど、何も変わりなく楽しかった、ふふ(笑)。あの、なんていうか、最初テーマをもらう、いつもそうなんですけど、テーマをもらうと、なんか頭がちょっとこう固く動くので、あの…自転車のね、とか、やじろべえの、あの、たとえはすごくわかりやすかったし。ああ、と思って。なんかこう自分がいつも思ってるもやもやっとしたものが、ほかの人が言葉にしてもらえたのが、すごくやっぱり、ああやっぱここはそれがいいんだなと思って。改めてまた二期目の、あの、楽しみを、あのこれからも楽しんでいきたいと思います。ありがとうございました。

D:あの、いつも思うんですけどね、ここ、あの、お題いただいてもね、あんまりよく見なくって、よく見て、それ、そのことを考えようと思ってもなかなかね、なんか、あの、話まとまらなくって。ここへ来るとね、皆さんそれぞれみんな自分の子供とかの、今までのことを絡めてお話になるでしょう。それがすごく楽しみで。バランスって、まあここに書いてあるけれども、この、から、いろんなことがこう広がっていって、最後その親子の老人ホームの話ぐらいだとか、お父さんへの不満とかで終わって(笑)。まあ、ちょっと、今日も楽しい1日やったなと思って(笑)。ありがとうございました。

A:私は、だからこう、ここへ…私自身の生活でいうと、ここへ来ても来なくても、私は何も変わらないんやけれども、やっぱり、ここに来て、いろんなお話をして、聞い…いろんなことを聞くこと、で、知らない間にね、彼に対してのバランスがとれてたんやな、って自分で。その、おっしゃるように初めここに来たときは、ほんとに私も子供の小さいときのこととか、自分がどうやって育ててきたっていうことを思い出す場所やったのが、こんだけやっぱり長い時間ここで、いろんな話をしてくると、私のその思い出も成長してきて。今の彼に、につながってんねんね、ここのお話が。だから、このなかで小っちゃいときは、親やし子供やから、は…別々にいるわけにもいかないから、つねに一緒にいてて。小っちゃいから、力づくで抱きかかえてその場から逃げ去ることもできたけど、もうこんだけ大きくなると、もう向こうのほうが力が強くって、私の力ではその場から動かせられないねんね。動いてもらわないと、動けない状態までいまもう来ちゃってて。で、あの、前はやっぱりその、いつもいつも一緒やから、もうしんどいしんどいっていう、自分の時間もなくってしんどいしんどいという思いがあったのが、最近は大きくなってきて、離れることをしようと思ったらできると思って、その離れてる時間もつくりながら、反対に、今、私はあの人とすごく一緒にいたいっていう気持ちがあって。だから、いつも一緒に遊びに行こうとしてて。言うように、土曜日、彦根城、じゃない、姫路城に行ってきます、今週土曜日、みたいな。だから、で、なんかこうすごく、彼と出かけることが楽しい…くなってるんですね今ね。で、ついでに下の子も、ついてくるらしいので、あの親子で、なんか最近を、こんなに大きくなってから親子で出かけることが多くなって。あの、すごくそれがそれで楽しいのと、自分も、もう老い先何年かしたらもう動けなくなる歳になるので、今しかない、遊ぶのは今しかない、動けるのは今しかない、と思うから、余計にこの時間に、彼と一緒にいろんなとこへ行って、楽しかったって思い出を、いっぱいつくりたいって、今思ってるんです。だから、ここへ来てた時間が、私の彼との思い出もこう、ここと一緒に成長してきてて。それが自分のなかでのバランスやったんかな、って。ちょっと今日、お話を聞きながら思いました。

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