研究・業績
研究テーマ概要
歯科麻酔学は局所麻酔法に加え、全身麻酔法、精神鎮静法、顎顔面領域の疼痛治療や救急蘇生法など、安全で快適な歯科医療を提供するための全身管理学として発展してきた。さらに,高齢社会の到来と医学の進歩により、これまで手術や歯科治療の適応ではなかった重症の全身疾患を有する患者に対して全身麻酔や歯科治療を行う機会が増加している。このような状況を鑑み,当講座ではこれらのハイリスクの患者が、手術や歯科治療を安全かつ快適に受けていただくため、全身管理法について研究を行ってきた。また、顎顔面領域に発生する疼痛や麻痺は、歯科医療の高度先進化に伴い、医原性疾患が急増している。一方、原因が特定できない治療に難渋する慢性疼痛も多く、基礎および臨床の両面からその解決に向けた研究を進めている。ここ数年の研究内容は以下の通りである。
(1) 低濃度亜酸化窒素を併用したプロポフォールによる静脈内鎮静法が循環動態および自律神経活動へ及ぼす影響
静脈内鎮静法で主に使用されるプロポフォールには交感神経抑制作用があるため、軽度の循環抑制が生じることがある。一方、吸入鎮静法に用いられる低濃度の亜酸化窒素には、軽度の交感神経刺激作用があるといわれている。本研究は、健康成人ボランティアーを対象とし、亜酸化窒素の併用が、プロポフォールを用いた静脈内鎮静法での循環動態および自律神経活動へ及ぼす影響について、インピーダンスカルディオグラムおよび血圧・心拍変動解析を用いて調べた。また鎮静度についてもBISモニタおよび臨床的鎮静度について評価した。低濃度亜酸化窒素の併用により、プロポフォール単独投与の場合と比較して循環抑制作用を変化させずに鎮静度は深くなり、交感神経抑制作用は減少傾向を示した。
<発表論文>
The effect of nitrous oxide inhalation on the hypotensive response to propofol
: a randomized controlled trial
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S2212440313001806
(2) インプラント手術のための静脈内鎮静中に発生する咳反射について
静脈内鎮静のもとでインプラント埋入手術を行う際は、常に咳反射が発生しやすい状況にあるが、どのような状況で咳反射が生じやすいかということは解明されていない。われわれは、咳反射の実態調査を継続しており、ドリリング時に咳反射が発生しやすいこと、咳反射により血圧、心拍数の上昇が生じること、そして処置部位により咳反射の発生頻度が異なることがわかってきた。
<発表論文>
Cough Reflex Under Intravenous Sedation During Dental Implant Surgery Is More Frequent During Procedures in the Maxillary Anterior Region
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0278239112017326
(3) 認知症の高齢歯科患者における静脈内鎮静法の検討
認知症を有する高齢歯科患者が増加しており、その非協力的な行動のために通常の歯科治療が困難な状況も増えている。当該患者への静脈内鎮静法が有用と考えられるがその安全性は十分確立されておらず、それについて検討してきた。その結果、高齢認知症患者への静脈内鎮静法は有用であるが、薬物による呼吸・循環抑制や覚醒遅延が低用量でも生じること、呼吸・循環器系合併症の発症時期と麻酔深度モニタであるBispectral Index(BIS値)とは比較的相関しており,合併症を予防するために患者の絶え間ない観察に加えてBISモニタが有用であることが示された。
(4) 自律神経障害を有する糖尿病ラットの急性出血に関する研究
自律神経障害を有する糖尿病ラットでは、急性の出血に対して自律神経を介した代償機能が早期に破綻し、循環虚脱に陥る。この反応には、反射性の交感神経系活動の障害やB-J reflexによる副交感神経の亢進が関係する。しかし、デキストランの輸液によって血管内容量を回復させると、B-J reflexは減弱し出血時の循環抑制が緩和される。以上より、糖尿病性神経障害を有する患者の周術期麻酔管理において、何らかの要因によって急性出血が生じた場合、非糖尿病患者より強く循環抑制が現れる可能性があり、綿密な全身管理を要することが伺える。
<発表論文>
Hemodynamic and autonomic response to acute hemorrhage in streptozotocin-induced diabetic rats
http://www.cardiab.com/content/9/1/78
(5) 抗血栓療法を受けている日本人患者の抜歯および歯周治療における出血管理に関する研究
抗血栓療法(ワルファリンまたはアスピリン等の抗血小板薬の内服)を受けている患者に対し抜歯や歯周治療を行う際の、これら薬剤(抗血栓薬)の管理基準は確立されていない。したがって、抗血栓療法を受けている日本人の抜歯および歯周治療時の出血管理を調査し、適切な抗血栓薬の管理基準を確立することを目的とした。その結果、日本人のワルファリン(INR値<3.0)および抗血小板薬投与患者においては、維持量を継続して抜歯や歯周治療を行っても、適切な局所止血処置により十分に止血可能であることが判明した。この成果は、三学会合同編「科学的根拠に基づく抗血栓療法患者の抜歯に関するガイドライン2010年版」のデータとなっている。
<発表論文>
Hemostatic Management of Tooth Extractions in Patients on Oral Antithrombotic Therapy
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0278239107014991
(6) パーキンソン病モデルラットにおける口腔領域の疼痛感覚
パーキンソン病(PD)患者における口腔領域の疼痛感覚については十分解明されておらず、その疼痛変化の有無を検討するために、片側のドーパミン神経細胞を破壊したPDモデルラットを用いて行動学的、免疫組織学的な評価を行った。その結果、PDモデルラットは疼痛閾値が低下していることが示唆された。重症のPD患者では無動や筋固縮のため口腔清掃が自身でできなくなること、また嚥下障害による食物の口腔内での停滞、さらに抗パーキンソン病薬による唾液分泌の低下など口腔内を健全に保つことを阻害する要因が多い。そのため、PD患者の口腔衛生に積極的に関与する必要性が示唆された。
(7) 片頭痛の研究
片頭痛は人口の10%近くが罹患する疾患であり、月に数回日常生活の継続が困難となるほどの激烈な頭痛が特徴である。この発作中に歯痛や顔面痛を伴うことがあるため、患者が歯科を受診する場合も多い。我々は、片頭痛動物モデルであるCSD (Cortical Spreading Depression、大脳皮質拡延性抑制)モデルを用いて、各種麻酔薬の効果の検討や慢性口腔顔面痛と片頭痛の関係について研究を行ってきた。現在までのところ、臨床で広く使用されているプロポフォール、デクスメデトミジン、イソフルランのうちデクスメデトミジンとイソフルランがCSD発生を抑制することを明らかにした。この結果はこれらの薬剤が片頭痛だけでなくCSDが関係していると考えられている脳梗塞や脳挫傷などの病態の予後にも影響を与える可能性を示唆している。
<発表論文>
Anesthetic effects on susceptibility to cortical spreading depression
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0028390812005205
(8) 鍼刺激が内分泌・自律神経系におよぼす影響の評価
口腔顔面痛の治療に用いられる経穴の鍼刺激による内分泌系および自律神経系の変化を、精神ストレスホルモンである唾液クロモグラニンAや、血圧・心拍ゆらぎから検討した。鍼刺激は精神ストレスホルモンの上昇が生じたが、交感神経の抑制と副交感神経の亢進を惹起し、それに伴って心拍数・血圧の低下を引き起こすことが分かった。
(9) ペインクリニック外来患者における心因性因子の検討
当院ペインクリニック外来(PC)を受診した口腔顔面痛患者102名(男性17名、 女性85名)を対象とし、初診時の抑うつ傾向、自律神経・精神症状を評価した。疼痛発生から初診までの期間は3カ月未満が18%、3カ月以上が82%を占め、PC患者の多くは、複数の医療機関を受診して慢性化してから受診していることがわかった。抑うつ傾向、自律神経・精神症状の評価より、発症から3カ月以上経過してから受診した患者で何らかの心理的障害を有する患者の割合が高かった。痛みの慢性化は心因性因子を増悪させ、さらにそれが難治性疾患を成立させる修飾因子にもなっていることが推察された。