研究活動

歯周病菌と細胞メンブレントラフィック

歯周病のCellular Microbiology
天野敦雄

●歯周病

2001年、人類史を俯瞰するギネスブックに「全世界で最も蔓延している病気は歯周病である。地球上を見渡してもこの病気に冒されていない人間は数えるほどしかいない。」と記載された。強大な疾患に挑み、人々を守ろうと努める歯科医学研究者は実に美しい存在ではないかと自画自賛したい。しかし、残念ながら歯周病の全体像は判っていない。病因論が確立していないのだ。従って歯周治療論も百家争鳴となって然るべしである。先端科学に基づいた治療をされている先生もいれば、衛生士さん任せの先生や、「入れ歯の方が気楽でよろしいで」と思い切りのよい先生もいる(その後、義歯の具合が悪いという患者さんに、「あんた~義歯で噛める思てまんのか?義眼で見えまっか!」と納得させた凄い人も昔はいたらしい)。巷に目を向けると、驚くような奇抜な民間療法が広まっている。乳酸菌ヨーグルトで歯を磨く(乳酸菌は虫歯を作るんだけど…)、塩で歯ぐきを50回こする(塩で血圧上がりそう)とか、なた豆茶(薩摩に伝わる不思議な豆らしい)を飲めだとか、プロポリス抽出液歯磨き(ポリフェノールは体にイイもんね)などが人気だ。太陽電気パワーのチタン歯ブラシ(感電しそう)も通販では人気のようである。さらに、歯周病は口臭の原因でもある。その悩みに応えるネット販売商品も多い。ひとつご紹介する:「スピード爽臭!口臭サヨーナラ △△薬。購入者Aさんの声:院生への指導の際なぜか嫌な顔をされたり、教室員からはヒソヒソと私の臭いについて陰口を言われ… 本気で悩みはじめていた時にこの商品をロジスティクス仲間から勧められました。飲み始めてから、教室員がお茶を煎れてくれたり和やかに談笑したりできるようになり、研究室の空気が変わりました。感謝しています!」この手の商品の科学的根拠は全く理解できないが、売れている、らしい。

●歯周病の科学

何とも誤解の多い歯周病であるが、皆さんの正しい理解を得るためには、一日セミナーをさせて頂かないといけないので、無理である。と、これで終わると実も蓋も無いので、簡単に説明しよう。

歯周病は歯垢(デンタルプラークとも言うが、最近はオーラルバイオフィルムと姓氏改名している)に棲息する幾つかの歯周細菌種による複合感染症だ、なんてことは教養人である諸兄なら誰だって知っている(図1)。しかし、歯周細菌種が秘密戦隊ゴレンジャーに色分けされていることを知る方は少ないに違いない。1998年にForsyth Dental Center (Boston)のグループがバイオフィルム細菌を5つのグループに色分けした。Yellow、Green、Orange、PurpleそしてRedである(後にBlueが加わり、ロクレンジャーになってしまった)。ゴレンジャーではRedが主役である。歯周病でもRedが主役だ。Porphyromonas gingivalisという細菌にRedの称号が与えられた。P. gingivalisは思春期以降に口の中に住み着くと考えられている(キスでうつる?)。

歯周病(periodontitis)の局所像

図1 歯周病(periodontitis)の局所像
歯周病とは、口腔内のデンタルプラークに棲息する歯周病菌によって引き起こされる感染症である(詳細はYahoo!ヘルスケアでご覧下さい) calculus: 歯石、periodontal pocket: 歯周ポケット

●歯周病菌とCellular Microbiology

さて、前置きが長くなったが、ここからが本題である。口の中からRed歯周病菌を駆逐するのは無理である。Redの菌数を減らして悪さができないように押さえ込むことしかできない。しかし、こうすることによって歯周病は止まる。さてどうして、歯周病が治らないのか。それは、Redがメンブレントラフィックを使って歯周組織で生き残るからである。一旦この菌に感染すると、どんなに一生懸命歯を磨いても、死ぬまでこの菌は執拗に棲息し続けるのである。どうしても、この菌から逃れたい方に、唯一の方法をお教えしよう。それは、歯を全部抜いてしまうことである。歯が無くなれば、大抵の歯周病菌はいなくなる(代わりにカンジダというカビ菌が住み着くことになるが)。

P. gingivalisの細胞侵入とエンドサイトーシス
図2 「こんにちは~、お邪魔します」 P. gingivalisの細胞侵入とエンドサイトーシス

P. gingivalis の細胞侵入機構
図3 P. gingivalis の細胞侵入機構

図3 P. gingivalis の細胞侵入機構
 P. gingivalis はa5b1-integrinとの結合により細胞侵入を開始し、リピッドラフトおよびdynamin 2依存性クラスリン非依存エンドサイトーシスを介して細胞内に侵入する (Amano et al., Periodontol. 2000, 52, 2010)。

図2はP. gingivalisが歯肉上皮細胞に侵入していく写真である。図3は我々が報告した侵入機構である。培養細胞にこの菌を添加すると、ほんの数分後には細胞侵入を開始する。P. gingivalisは強力なproteaseをもっているため、細胞侵入に伴い強力な細胞傷害性を発揮する。細胞内に侵入したP. gingivalis の半数はリソソームで分解されてしまうか、エンドソームとオートファゴゾームの融合によってオートファゴゾームに移行し、分解される。しかし、分解される運命となってもP. gingivalisはかなり長い時間オートライソソーム内で生き続け、細胞傷害性を発揮する。一方、驚くことに、半数近くは初期エンドソームからrecycling pathwayを経由して細胞外に出て、周囲の細胞に再侵入する(この発見も天野研の成果だ)。さらに、P. gingivalisはオートファゴゾームから細胞外に脱出している可能性も高い。このようにP. gingivalisは細胞間を往来し・生き長らえ・増殖し・感染を続けるのである。面白いのは、Redの細胞挙動にalternative pathwayがいくつかあることである。細胞差・個人差によってP. gingivalis を細胞内で殺す細胞と、好き勝手される細胞があることを意味し、歯周病に「なる人」と「ならない人」を細胞内ロジスティクスの個体差で説明することができるかもしれない。これは画期的な成果である。

●歯周病菌の飛び道具:外膜小胞Outer membrane vesicles (OMVs)

P. gingivalisのTEM像

図4. P. gingivalisのTEM像。恒常的に細胞外に外膜小胞(OMVs: 矢頭)を放出していることが知られている。

P. gingivalisは恒常的に、外膜小胞 (OMVs)を分泌していることが知られている(図4)。OMVsにはP. gingivalisのほぼ全ての細胞傷害性因子が含まれていることから、OMVsはP. gingivalisから発射されるミサイル考えられている。OMVs はグラム陰性菌の垢(頭のフケに例えてもらってもイイ)のようなもので、いくらでも出てくる、無尽蔵だ。OMVsも細胞内に侵入する。OMVsを培養細胞に添加するとエンドサイトーシスによって細胞内に取り込まれ、初期エンドソーム、後期エンドソームを経由して最終的にライソソームに到達する。加えてMVはエンドソームの著しい酸性化を引き起こす (Furuta et al., Infect Immun, 77, 10 &11, 2009)。この一連の過程の中で、OMVsは様々な細胞傷害性を引き起こし、歯周組織にダメージを与える。OMVsの細胞内挙動については、これまで3つしか報告がないが、3つとも全く異なる細胞内挙動を示す(図5)。詳細は総論(Amano et al, Microbe Infect, 2010)を参照にして頂きたい。

3種のOMVsのIntracellular trafficking (P. gingivalis, enterotoxigenic E. coli, and Pseudomonas aeruginosa).
図5.3種のOMVsのIntracellular trafficking
(P. gingivalis, enterotoxigenic E. coli, and Pseudomonas aeruginosa).

●この研究の意義

 今の中高年の諸兄は感染症への抵抗性が高い最後の世代かもしれない。緑色の鼻汁を垂らす子供だった世代であり、様々な小さな細菌感染に洗われ、正常な免疫力を獲得し成長した世代である。歯周病は宿主免疫の低下を原因とする日和見感染の色彩が強い疾患である。生活環境の変化や抗生物質の乱用などによって免疫バランスを崩し、またアトピーや花粉症などのアレルギー発症者が多い現代の若者が中高年となる時、歯周病はますます蔓延しているのではないだろうか。歯を失う悲しみから彼等を守るために、歯周病研究の歩みを速めなければならない。21世紀はじめの歯周病感染とCellular Microbiologyの関係解明がブレイクスルーになったと、後世の医学書に記載されるためにも前進あるのみだ。最後に、大阪大学歯学研究科の歯学研究者も頑張っていることをお知らせしたい。歯だけではなく、毛根の再生にも着手したようである(ホンマか?図6)。

大阪大学の未来歯科医療を紹介する新聞記事
図6.大阪大学の未来歯科医療を紹介する新聞記事